道の途中でにわか雨にあうと、濡れては困るとばかりに、急いで軒下などに走ったりするが、濡れることに変わりはない。
はじめから濡れてもかまわないと思っていれば、なんの苦になることがあろうか。
これはすべてのことに共通する心得である。葉隠より
私はイギリスのバーミンガムの出身で、大阪に暮らすようになり、そして栄養学にハマりました。ここまでの私の人生にはターニングポイントになる出来事が3つありました。
- 15歳のとき、ガラス瓶で頭を殴られる。
- “Angry White Pyjamas“という本に出会う。(英語リンク)
- 6年前、トラックとの事故に遭う。
今回は、いつものように身体づくりに使える情報を書いた記事ではありません。特別興味がなければ飛ばしてしまってください。
ガラス瓶で殴られる
私はわりと良いセカンダリースクール(イギリスで11歳〜18歳までの学校)に入学しました。この学校は、都市部の治安の良くない地域にありましたが、鉄製で12フィートもある校門とフェンスに囲まれており、学校内では男子校ならではの小競り合いがあるくらいで、フェンスの中と外はちがう世界でした。
郊外出身の純真無垢で世間知らずだった私は、入学した第1週目、バス停に立っていて生まれて初めて強盗というものを目撃しました。一体なにが起こっているのか理解できず、逃げることさえ考えつかず、ただ目の前の光景にあっけにとられていました。
私がこの学校に通っていた期間に、学校のフェンスの外では、強盗やその他の事件が数え切れないほどありましたが、幸いにも私自身がひどい目に遭うことはなかったので、リアルな危機感はなく、「なにも盗られず家に帰る」のを一種のゲームのように捉えるようになりました。
しかし、ある日すべてが変わります。
私は、中産階級のわりと上品な地域に住んでおり、数人の友人とバス停に立っていました。反対車線に107号バスが停まったとき、ガラスの割れる音が聞こえたので振り向くと、ダブルデッカーの2階の窓から少年が飛び降りるのが見えました。さらに、クスリでラリった彼の仲間が20人ほどぞろぞろ降りてきました。
無視しようとしましたが、ひとりが背後にやってきて、ビール瓶で私の頭を殴りつけました。連中は、この上品な地域にカモにしやすい相手を探しに来ていたのです。
その日の夕方、救急外来で傷口を縫われながら、私は自己嫌悪でいっぱいになっていました。私は友だちをその場に置いて逃げたのです。5人いた友だちの内3人は女の子でしたが、私は逃げ出しました。幸いにも、女の子たちは危害を加えられることなく無事でしたが、このときの自分を恥じる気持ちは未だに消えません。
恐怖心が何年も付きまといました。例えば、アメリカのスラム街に住む子どもが経験する世界と比べれば、まちがいなく大したことのない事件ですが、当時の私にそんな見方は到底できず揺さぶられました。
それからの2年間、学校が早く終わって、ひとりでバス停まで歩かなければいけないときには、技術室から盗んできた鉄製の定規を袖の内側に忍ばせていたのを覚えています。幸いにも、卒業まで、それを使わなければいけないことも、またなりふり構わず逃げ出さないといけないこともありませんでしたが、それで恐怖心が消えるということはありませんでした。もしものときにはどうすればいいのか?
私は空手を始めました。師範は厳しくも熱い人で、その姿勢は師範自身の理不尽な人生経験から来るものでした。自分に嫌気がさしていたのが強い動機になって、私は練習を続け、少し自信を取り戻し、恐怖心も和らいでいきました。
いまになって振り返ると、15年前私をガラス瓶で殴った少年に感謝をしたいくらいです。もしあの出来事が無かったら、私は道場に足を踏み入れることさえなかったかも知れませんし、空手を追求することなどなかったでしょう。あの出来事なしでいまの自分はありえません。
いまとなってはすべて笑って話すことができます。広い視野を持って、他のさらに不運な子どもが経験することに比べると、私に起こったことは大したことはないと思うことができます。
私は良い学校に行き、素晴らしい先生たちに恵まれました。私も私の同級生たちも愛情豊かな家族がありました。私たちを襲った少年たちは、おそらくそういうものに恵まれなかったのでしょう。
物を盗まれた以外に私が聞いた限りで最悪の被害は、鼻かあばら骨の骨折くらいまでです。私たちにとっては良い人生経験であり、そこから学ぶものがあったのはラッキーです。
本との出会い
大学に入ると、出会う人たちはみんな優しく、人に優しく接することが普通の世界が待っていました。私がこれまで馴染んできた環境との違いにカルチャーショックを受けました。
周囲の当たりがやわらかくなり、パーティーがあったり、距離が遠くなったこともあってか、大学のはじめ2年間は道場に通わなくなりました。
その後、私は同級生3人といかに最小限の手間でそれなりの成績をおさめるかを考え、勉強時間の節約をはじめます。(一部の選択科目は教材の半分を無視して、おもしろい部分だけ勉強しても試験をパスできる可能性が10%も下がらないと気づいたのです。)
自由になる時間が増えた私は、道場通いを再開します。大学最終年の中頃には、バーミンガム市内の道場に毎日通うようになっていました。もう恐怖心は落ち着いていましたが、空手の稽古に熱中していて、師範をはじめ素晴らしい人たちにも恵まれました。
ちょうどこの頃、同級生たちは就職活動を始めましたが、みんなが応募していたような仕事には興味が持てず、自分がそれをするなんて想像もできませんでした。この頃、知り合いに勧められて、日本の合気道について書かれたAngry White Pyjamasという本を読みました。とても過激でおかしな描写にふつふつと好奇心が湧いてきました。
私は就職活動を止め、日本でできる仕事を見つけ、卒業の3ヶ月後には大阪に向けて飛んでいました。スケジュールの都合で空手の稽古は週2回程度になっていました。
2〜3年経って、私は変わらず稽古に精を出していましたが、空手で身に付いたのは人を傷付ける術ばかりだということに気付きました。私が何よりも欲しかったのは、誰かが襲いかかって来たときに相手を抑えてコントロールする力です。そうすれば状況にあわせて自分で対応を選べます。
そこで私は、近所にあった合気道の道場に行きました。まったくの偶然ですが、そこは昭道館という型だけではなく実戦への応用を重視した道場の本部でした。おかげで世界最高レベルの人たちから学ぶ機会に恵まれました。
私はすぐに週6回の合気道と週2回の空手をこなすようになりました。道場に来ていた多くのメンバーもそうでしたが、格闘技に夢中だった私の生活は稽古を中心にまわるようになり、冬には次の稽古に間に合うように道着を洗って乾かずことが毎日の大きな課題になりました。
これを2年ほど続け、私はまだまだ空手も合気道も大したことはありませんでしたが、なにより稽古が好きだったので構いませんでした。Angry White Pyjamasの著者Twigger氏が本の中で書いていた膝の皮がすべて擦りむけてしまうという経験をすることはありませんでしたが、彼がいかに正座に苦しめられたかは身をもって味わうことができました。昇級審査の日には何時間も写真のように正座で耐えぬかなければいけなかったのです。
トラックとの事故
これだけ格闘技で身体を動かしても、バキバキの身体にはなりませんでした。そこで格闘技の稽古を6ヶ月休んで肉体改造の実験をやりました。
1日6回に分けて食事を摂り、週5日ジムに通ってウェイトトレーニング1時間、有酸素運動1時間。
当然といえば当然ですが、バキバキの身体になりました。ただ、その時間と労力にヘトヘトになりました。
とりあえず実験の目標を達成したので、これで道場に戻れるはずでした。
しかし、2008年の8月8日、街中で私が立っているところに、近くに停まっていたトラックの荷台のドアがいきなり開きました。頭を守るため、とっさに手を出したら手首を骨折してしまいました。
ギプスをはめて何もできない生活が1週間を過ぎ、気が狂いそうになった私は、ギプスを両足で挟んで思い切り引っ張って引き抜いてしまいました。
外したギプスを病院へ持って行き、せめてスミスマシンでベンチプレスができるように少し角度を変えて作り直してもらえないか頼みました。お医者さんは呆れていました。
このときにはまだ分かっていませんでしたが、このトラック事故で私は合気道の選手生命を絶たれてしまうことになりました。ギプスが外れ、その後は理学療法の治療を受けましたが、完治が見込めない故障で、手首を曲げた状態で負荷を掛けることができなくなりました。(例えば、腕立て伏せのような動きは痛みがひどくてできません。)
格闘技は断念せざるを得ませんでしたが、手首を曲げさえしなければウェイトトレーニングは続けることができました。ちょうどバキバキに絞れた身体をつくる味を覚えたところで、それ自体は気分の良いものでしたが、もっと良いやり方、もっと賢いやり方があるに違いないと思っていました。もともと凝り性な性格で、これまで格闘技にかけていた時間が突然自由になって、次に熱中できるものを必要としていた私は、栄養学のオタクの道へと入り込んでいきます。
少し時間は掛かりましたが、ちまたのいい加減な情報をかき分けていくうちに、本当に使える情報を伝えてくれる人たちにたどり着きました。このサイトで紹介している専門家たちです。このサイト中のあちこちで紹介しているので、このページ以外の記事を読んだことがあれば、誰の話をしているかはすぐ分かるでしょう。この人たちとの出会いは、私の人生の4番目のターニングポイントと言えるかもしれません。
スティーブ・ジョブスの有名なスピーチの言葉を借りると、この4つのターニングポイントは私の人生の「点」ということになるでしょう。
先を読んで点と点を結んでいくことはできません。後から振り返って初めてつながりが見えるのです。つまり、将来、点がなんらかの形でつながっていくと信じなければいけません。なにか信じるものを持ってください。自分の直感、運命、人生、カルマ、なんでもいいです。いつか自分の人生の点がつながっていくと信じることが、自分の感じるままに生きる自信を与えてくれます。そして、一般的な人生のレールから外れることもこわくなくなります。そのことが大きな違いを生むのです。
みなさんにも思い当たる「点」がありますか?
今回はいつもと違って個人的な話でしたが、みんな人生にはストーリーがあるでしょう。読んでいただいてありがとうございます。
アンディ・モーガン。ここはすばらしいサイトだ。科学的で、実践的で。ブログのすべてのエントリーを読みたい。日本語で読める最良のサイトだ。
Kenzoさん、サイトが少しでも役に立てれば幸いです。
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